この本、めっちゃ面白かったです!

読んで面白かった本だけを紹介します。

『90年代サブカルの呪い』(ロマン優光著/コア新書)が面白い!

新刊、旧刊、古本、ひところ話題になった本、再読、インディーズ出版、漫画、ムック、雑誌、読める物ならば手あたり次第、なんでも拝読いたします。

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「書評」ではありません。
本書の内容から逸脱し、さらには内容にまるで触れない場合すらあります。
ご海容ください。

 

呪いが終わらない

 

『90年代サブカルの呪い』(ロマン優光著/コア新書)

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60年代、70年代、80年代、90年代、ゼロ年代、ざっくりと語られる2000年代。
それぞれの年代の、さまざまなシーンに、その都度いちいち強い影響を受け、ミーハーと化してきました。

 

あまりにもあっけなくどれにもこれにも感化されるため、八方美人が過ぎ、結果として「どこにも居場所がない」まま現在に至ります。

 

なかでもとりわけ「90年代サブカル」は、自分の人生に刺さる強度がケタ違いです。「悪趣味」「鬼畜」「電波」という文字が表紙や目次に踊ってさえいれば購入し、むさぼり読んでいました。

 

編集部がゴミ屋敷同然だったコアマガジンから、『芸術新潮』までもが、こぞって悪趣味を押し出していた数年。ゆえに当書で列挙される書籍やムックのほとんどが現在も書棚に並んでいます。当書で90年代サブカルとは線を引かれた裏モノ系まで買っていました。

 

溺れるように、あんなに本を買い、あんなに読んだ日々は、後にも先にもありません。

 

なぜならば、他の年代のムーブメントはキャーキャーと頬を赤らめておればよかったですが、「90年代サブカル」においては、職場でもあったからです。たとえ末席であっても、はじめてムーブメントが起きているメディアにかかわれている快感に日々恍惚としていました。

 

井島ちづるなんて、著書『恋ができない!!』から、死後に発売された『井島ちづるはなぜ死んだか』まで購入していました。いま考えれば、さすがに同業者をそこまでヒロイン視していたのは、「頭がおかしかった」とクールダウンしていますが。

 

90年代末、上京しました。上京した理由のひとつは、夜ごと刺激的なイベントが繰り広げられる「ロフトプラスワンへ行きたい」というものでした(現在の場所ではありません)。高円寺に住み、新宿で朝を迎え、いろんな人たちに会いました。あの頃、リストカットの痕を勲章にしている女子が本当に多かった。

 

先日、梅田で飛び降り自殺がありました。ネットで拡散された動画も観てしまいました。「撮影するな」「動画を拡散するな」という声は100%ごもっともです。


ただ、飛び降りた彼女は、撮影されることも、拡散されることもあらかじめわかっていたであろうし、望んですらいたのでは。リストカットの痕を誇るかのように。抗いがたい新たな感覚が萌芽している、そんな気がしました。

 

明るい80年代を裏返すようにはじまり、何人もの死者を出した「90年代サブカル」。
来るべき2020年代が、再び愛のない鬼畜をおもしろがる呪いの時代にならぬよう、あの時代の経験者は、反省すべき点を反省し、価値観や倫理観のアップデートを怠らず、次代へ呼びかけてもいかなければならないと考えた次第です。

 

鬼畜サブカルを反省したり反省しなかったりしているアホどもへ!

奥崎謙三、『ディープ・コリア』、井島ちづる、小山田圭吾、悪趣味、「危ない1号」、山田花子、死体ブーム、ロリコン、電波系、Quick Japan、金井覚、山塚EYヨ……

90年代サブカルという特殊な文化を今の価値観で振り返り、怒り狂っているヤバい単細胞が昨今目立ちます。
彼らによる考察ならびに反省は、一見まともでも的を射ていないものが実に多く、世間に間違った解釈を広めてしまう害悪でしかないのです。
この負の連鎖を食い止めるべく、誰よりも正しいミュージシャン、そう、ロマン優光が(ぼんやりと)立ち上がった次第であります!
ヒット作『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』の続編となる、サブカル本第2弾!

 

90年代サブカルの呪い
著/ロマン優光
定価:本体787円+税
コア新書

www.coremagazine.co.jp